琉球ガラスを初めて手に取った方から、「少し歪んでいますね」「気泡がありますね」と言われることがあります。その言葉に、私たちは違和感を覚えません。
むしろ、それこそが琉球ガラスの特徴だと感じているからです。
琉球ガラスは、なぜ揃っていないのか 琉球ガラスは、もともと均一な形を目指して作られた器ではありません。 戦後の沖縄では、米軍基地から出る空き瓶を再利用し、 限られた材料と設備の中で、暮らしに必要な器が作られてきました。
炎の前で、溶けたガラスの状態を見極めながら、一つひとつ形を決めていく。その過程で生まれる揺らぎや歪みは、失敗ではなく、人の手が介在した証です。
気泡や色ムラは、欠点ではない 工業製品のガラスでは、気泡や色ムラは「不良」とされます。けれど琉球ガラスでは、それらが排除されてきませんでした。
なぜなら琉球ガラスは、鑑賞用ではなく、暮らしの中で使われる器だったからです。光を受けて揺れる気泡。一つとして同じにならない色合い。 それらは、使う人の手元で初めて意味を持ちます。
手吹きガラスと聞いて思い浮かべるもの 手吹きガラスと聞いて、多くの方が思い浮かべるのは、ベネチアングラスのような繊細なレース模様や、薄く、均整の取れた芸術品かもしれません。確かにそれも、手仕事のガラスの一つの到達点です。
けれど琉球ガラスは、そことはまったく異なる軸の上にあります。装飾性や完成度を競うためではなく、日々の暮らしの中で「使われること」を前提に生まれたガラス。厚みがあり、多少ぶつけても割れにくく、手に取ったときの安心感を大切にする。
琉球ガラスは、鑑賞される芸術品というより、生活の中で育っていく道具として作られてきました。私が惹かれる琉球ガラスの姿 誤解のないようにお伝えすると、 私自身は、繊細なベネチアングラスも、ぽってりとした琉球ガラスも、どちらも好きです。どちらが優れている、という話ではありません。ただ、琉球ガラスが時代の変化に合わせて姿を変え、再生ガラスという素材と向き合いながら続いてきたことに、私は強く惹かれてきました。壊れても、また溶かし、形を変えて生まれ直すガラスの性質は、これまでの私自身の人生とも、どこか重なります。だから私は、変わり続けることを受け入れてきた琉球ガラスが好きなのだと思います。
藍が「整えすぎない」理由
私たちがやんばるの工房で琉球ガラスを作るとき、あえて揃えすぎないことがあります。それは技術が足りないからではありません。使う人の暮らしに入り、時間とともに馴染んでいく器であってほしいからです。琉球ガラスは、完成した瞬間に終わるものではありません。使われることで、初めて完成していく器だと考えています。